地蔵院には、小谷三志の墓所があります。

富士山が世界遺産に登録されたことにより、小谷三志は女性による富士山の初登頂を、富士講の行者だった高山たつが成し遂げることに、多大の役割を担った人物として知られることになりました。高山たつは天保三(1832)年に富士山への登頂を達成しましたが、当時の富士山は女人禁制だったため、行者姿で男装して登ったと言われています。富士講の教えは、四民平等・男女平等を説いていました。
日本の最高峰へ日本の女性が初登頂するという名誉な記録は、高山たつの勇気と小谷三志の男女平等の実践により成し遂げられたのです。
また、富士講中興の祖と言われ不二道として思想を体系化した小谷三志は、二宮尊徳に多大な影響を与えた人物としても知られています。
二宮尊徳は安政五(1822)年小田原藩主大久保氏の分知である、宇津家の財政建直しを命ぜられ下野国桜町に赴きましたが、この仕事は容易なことではありませんでした。色々と改革を試みたがうまくいかず、文政六(1832)年いったん小田原へひきあげる途中鳩ヶ谷を通りました。
ここで縁あって、二宮尊徳は小谷三志と出会うことになりました。尊徳は三志とさまざまな話しをしているうちに、再び勇気をとりもどして、また下野の改革にたち向かったのでした。文政九(1826)年、尊徳は桜町に三志を招き領民達に不二道の説教を願いました。かくして尊徳は天保二(1831)年に桜町の復興を完了したのでした。